【精神論】徳を積み重ねる意味とは??
みなさん、こんにちは(о´∀`о)
ゴッティです(^^)
いつも、ブログを閲覧していただきありがとうございます٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
今日は【徳】を積み重ねる意味とは?と言うテーマでお話をさせて頂こうと思います。
一日一善とは言ったものですが、個人的には余裕があれば、一日百善でも、千善でもすることが出来れば、それは素晴らしいことだと思います。
では、その【善】や【徳】を積み重ねることによってどの様なことが起こるのか?
はたまた、善や徳の逆の行為【不善】や【不徳】を成すと、どの様なことが起こるのか?
個人的な考察も含めて述べていこうと思います。
徳は貯金の様に貯めることができる
以前、ブログでも記事にしたことがあるのですが、徳は積み重ねれば積み重ねる程、大きな幸せになって貴方に返ってきます。↓以下、過去記事です。
では、実際にどの様に生きていけば【徳】は貯まっていくのでしょうか?
答えは、どんな事でも良いので世の為、人の為になることをすることです。
例えば、お年寄りや身体の不自由な方に親切にすることも【徳】だと思いますし、道端に落ちているゴミを拾ってキチンとゴミ箱に捨てることも、れっきとした【徳】を積む行為になります。
特に、ゴミ拾いは分かりやすい例になるのですが、ゴミを道端にポイ捨てした人は自分の持っている【徳】をマイナス1にしています。そのゴミを拾った貴方はその人が捨てた【徳】を拾って自分にプラス1にしているのです。
このようにして、少しずつでも徳を積み重ねていけば、まず貴方の心が浄化されていき、他人に対して優しさと余裕を持って接することができます。そんな貴方の人徳や人柄に良い人々や幸せが集まって貴方を幸せにしてくれるのです。神様もそんな貴方の行動をしっかり見ていて、貴方を幸せな気持ちにしてくれます。
つまり、徳を積み重ねる行為は後々の貴方の幸せに繋がっていくと言う意味になってくるのです。
不徳を重ねると、、、?
では、逆に不徳を重ねていくと、どの様になっていくのでしょうか?
【不徳】と言っても中々、定義が難しいところになってきますが、僕は犯罪などの人を傷つけたりする行為は勿論、小さなところでは人の悪口を言ったり、ゴミのポイ捨てなど、世間一般的に見て悪いことをすることだと思います。
誰も見てないからと言って、ついつい魔が差してしまい、悪いことをしてしまったと言う話はよく聞きますが、貴方のその行動はいつも必ず最低2人に見られています。その2人とは一体誰なのでしょうか??
①神様
天網恢々疎にして漏らさずと言う言葉があります。
神様の放った網の目は荒く大きいけれども、悪い人を必ず捕まえて天罰を加えると言う意味になります。
悪いことをしたその場では、何も罰は下さないかも知れませんが、トータルの人生の中で何らかのしっぺ返しがきっと来るようになっているのです。
②もう1人の自分
悪いことをしてしまうと多かれ少なかれ罪の意識を感じてしまうことがあると思います。これは、自分自身に恥じた行為をしてしまったからとも考えることが出来るのではないでしょうか?
自分という字は【自らを分ける】と書く通り、主観的な自分と客観的な自分に分けられており、客観的な自分は常に貴方の行動の良し悪しを見ていると僕は考えています。
そのもう1人の自分は貴方の積み上げた徳に対しては微笑み、犯した不徳に対しては貴方に罪悪感を与え続けるのです。
僕自身も聖人君子ではありませんし、まだまだ褒められたような人間でもありません。しかしながら、今後とも何か行動を起こす時は常に、もう1人の自分に問いかけて、自分に恥じない行為をして生きて行きたいですね(о´∀`о)
最後までご覧いただきありがとうございました(о´∀`о)